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総州家 (島津氏) : ウィキペディア日本語版
総州家 (島津氏)[そうしゅうけ]

総州家(そうしゅうけ)は薩摩守護島津氏の分家。初代当主の島津師久上総介を称していたことからこの名がついた。川内碇山城を居城としていた。
島津家5代当主貞久は、晩年に三子の師久に薩摩守護職を、四子の氏久大隅守護職を譲り島津家を分割統治させた。薩摩守護職を継いだ総州家であったが、2代伊久と子の守久の間で争いが起きる。伊久は両者の争いを調停した奥州家2代の元久に薩摩守護職と先祖伝来の家宝を譲り渡した。しかし伊久と元久も次第に対立し衝突するに至る。足利義満の調停によって一旦は和解するも、4代久世の代に元久の弟で島津宗家8代当主の久豊と対立、和議の席で久豊によって殺害される。3代守久も後に島津宗家9代の忠国に攻められ、肥前に亡命した。5代久林は祖父の守久とともに肥前に逃れたが、しばらくすると帰国。
真幸院に潜伏していたところを忠国に急襲され自害し、総州家は断絶する。
==歴代当主==
#島津師久(1325 - 1376)…子:伊久(2代)、久安(碇山家)
#島津伊久(1347 - 1407)…子:守久(3代)、忠朝、久照
#島津守久(生没年不詳) …子:久世(4代)
#島津久世(? - 1416)…子:久林(5代)
#島津久林(1412 - 1430)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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